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龍安寺のつくばい

つくばいが大変有名なところがあります。それは、龍安寺のつくばいです。龍安寺の石庭として知られる枯山水の方丈石庭で有名な龍安寺にも、実は有名な蹲があります。龍安寺は、室町幕府の管領、守護大名で、応仁の乱の東軍総帥でもあった細川勝元が宝徳2年(1450年)に創建した禅寺であります。衣笠山山麓に位置する龍安寺の所在地は、藤原北家の流れを汲む徳大寺実能以来、徳大寺家の山荘であったところを、細川勝元が譲り受けたものなのです。


初代住職として妙心寺5世住持の義天玄承を迎え、龍安寺の開山は実質的にはこの義天玄承とされているが、義天自身は2世に退き、自分の師の日峰宗舜を開山に立てているといっていいでしょう。創建当初の寺地は現在よりはるかに広く、京福電鉄の線路のあたりまでが境内であったといいます。龍安寺は、開基細川勝元自身が一方の当事者であった応仁の乱で焼失してしまいました。その後、勝元の子の細川政元と、特芳禅傑によって長享2年に再興されたという歴史を持っているのです。寺では特芳を中興開山と称しています。近世の地誌類によれば、最盛期の龍安寺には塔頭が21か寺、軒を連ねていたというほどです。しかしながら、現存するものは3か寺となっています。


例えば、都名所図会のような絵入りの名所案内書を見ると、当時、龍安寺の池はオシドリの名所として知られていたようです。今日では、有名な石庭がありますが、その当時は、むしろ池を中心とした池泉回遊式庭園のほうが著名であったらしいのです。寛政9年の火災で仏殿など主要伽藍を焼失したため、塔頭の1つである西源院の方丈を移築して龍安寺の方丈、つまり本堂としたのです。龍安寺のつくばいは知足の蹲踞として大変有名です。このつくばいは、茶室蔵六庵の露地にあります。つくばいは茶室に入る前に手や口を清めるための手水を張っておく石のことであります。


龍安寺のつくばいには「吾唯足知」と刻まれています。これは、われ、ただ足るを知るというように読みます。4字が刻まれているのでうsが、水を溜めておくための中央の四角い穴が「吾唯足知」の4つの漢字の「へん」や「つくり」の「口」として共有されているのが見どころであり面白いところなのです。そのため一見「五・隹・疋・矢」と読めてしまいます。この龍安寺のつくばいは、徳川光圀の寄進と伝えられています。なお、一般拝観者が見ることができるのは複製であるということです。

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